①練習
① 練習
★今まで5kmだった朝ランの距離を10kmに伸ばした。(5kmでは足りないだろうという理由。)
★ランニングウォッチ(※1)でペース配分を意識するようにした。
(自分の基本のペース、しんどいラインを知る。)
★2時間ランニングする日を作った。
(距離よりも2時間走り切る経験を大事にした。)
★20km走る日を作った。
(最低でもフルの約半分の距離を走れるようになっておかなければと思った。)
まずは練習について、上記の4点について順番に述べていきます。
★「朝ランの距離を5kmから10kmへ」
これは()の通りです。週に1回のランニングでは長距離走りきれるだけの身体ができないだろうということで、朝ランスタートからペースとは別に、ランニングウォッチの距離が5kmになった時点で折り返し、走った総距離が10kmになるように練習をしました。
初めは結構疲れましたが、すぐに慣れていきました。マラソン後もしばらく10kmが定着し、朝ランでは10km走ることとなります。
★「ランニングウォッチでペース配分」
ランニングウォッチは本当に買ってよかった!!
これがなければ私は自分のペースを知ることも、ペース配分もうまくできずにいたと思います。本当はGARMINが欲しかったのですが高くて断念。もっと走れるようになったら買おうという決意のもと、取り急ぎ「Tomtom」(※1)を購入。
多分性能を使いこなせていなかったと思いますが、主にペース配分、距離の確認などに役立てました。専用アプリもあるので、スマホと連携してデータを見直すことも可能です。
そして、ペースについてです。ちなみに朝ランをともにしている後輩Iと私の実力は拮抗しており、常に同じようなタイムです。笑 おかげで切磋琢磨できて本当に良いランニング仲間です。
そんな私たちの当時の基本のペースが7′00/km前後。これが何も考えず、喋りながら走っていたペースです。今はデータを見直すと「遅いなぁ」と思えるほどです。
運動不足解消と思って走っていただけの時はゆっくりな時で8′00/kmの時もあったと思います。これだけでも運動不足解消には十分です。ただ、フルマラソンを走ることになってから私たちは少しずつペース目標を立てて走るようにしていきました。
「今日は7′00/km保って走ってみるか〜」といった感じで、その日の体調に合わせ走るようにしていきました。
ペース配分を意識するようになってペース配分の大切さ、また自分の基本のペースを速めることがどれだけ大変かを知りました。フルを走り切るためには、この1分1秒が結果を大きくなる左右します。特に私のような普通の市民ランナーにとってはペース配分を間違えることは命取りです。
基本のペースが7′00/km。
そして、私が「しんどい」と思うペースが6′50/km。
たったの10秒。
でも、距離に換算すると、7′00/kmの場合42km走るのに約4時間54分。
6′50/kmで走った場合、約4時間46分。
ペースがたった10秒違うだけで、ゴールの時間に8分の差が生まれます。
8分あれば、ゆっくり走っても1km走れちゃいます。
すごくないですか?単純に私は「すごい!」と感動して、同時に1秒の重みを知りました。
まだまだ体力不足だったので、6′50/kmより速く走ると、「頑張れるけど少ししんどい」の状態でした。
これ以上ペースを上げると、結構キツかったです。しかし、このギリギリのラインを知れたおかげで練習強度調整の役に立ちました。だから長距離走る場合は、6′50/kmを意識して走っていました。
★「2時間ランニングする日を作った」
これは、ペースでも距離でもなく時間にこだわりました。自分がフルマラソンを何時間で走り切れるかわからなかったのですが、おそらく5時間程度走り続けることになるだろうと思っていたので、せめて2時間は走り続けられるように…と始めました。
その時ちょうど仕事終わりにジムにも通っていた頃なので、週に3回程度のジムのうち、1回を2時間ランに置き換えて、仕事終わりに職場をスタート、どちらかというと無理のない、ゆっくりなペース1時間で折り返し、帰りも大体1時間かけて帰っていました。
帰りについては少しペースを上げられることもあったので、その分に関しては時間は早く切り上がることになります。距離にして大体13km、ペースにして8′00〜8′30/kmほどでした。
ちなみにその時の仕事の定時19時で、職場の締め作業などして19時半〜走っていました。ジムの場合も同じで、大体20時に筋トレスタート、ストレッチやシャワーも済ませて23時前、調子のいい日はそこからさらに立ち飲みで飲んで終電で帰る。といったようなスタイルでした。(ひとカラの時もあった。)
当時は20代前半で体力があったことと、結婚はおろか恋人もいなかったからできたことだなと改めて思います。
ちなみに実家暮らしで、両親に遅くに走っていることは心配はされましたが頑張っていることを応援してくれました。あとは、すでに休日には飲み歩いては終電に帰っていたので、両親も慣れていたのだと思います。笑
これを書くにあたって、思い出しなが書いているのですが、我ながらよく練習していたなぁと感心します。笑 今はもう環境的にも体力的にも絶対無理です。笑
こうして「2時間」走り切ることを身体と脳に覚えさせる練習をしました。
これは私にとっては大きな自信へとつながりました。
★「20km走る日を作った」
これは「2時間ランニングする日を作った」と同様です。フルを走り切るのであれば練習で最低20km、なんなら一度は30km走っていた方がいいということを聞いたので、「とにかく20km走ろう!」と半日時間が取れる日を設定して、走ることにしました。ここで初めて一緒に20km走ることとなるのが、飲み仲間おじさんDさんとKさんです。
話はそれてしまいますが、私はとにかくお酒が好きで、とりわけ日本酒が好きです。1人で小さい店に飲みに行くこともよくありました。立ち飲みも大好きです。
そしてその頃ピークに日本酒にハマっており、ちょうど職場の近くにアテが美味しくて、日本酒も豊富で、私が好きな雰囲気の立ち飲みがあったのでよく仕事帰りに飲みに行っていました。上に書いてあるジム終わりの飲みはほぼそこです。
その店で飲む時は自分ルールを設けて、飲みすぎないように、お金を使いすぎないように、ビール1杯と日本酒1杯、アテは炙りチャーシュー(大好きなので。笑)と多くてももう一品にしていました。これで¥2,000前後。
1日を締めくくる最高の飲み時間です。そしてこのDさんとも現在まで続く長い付き合いとなるので、出会いの詳細は今は割愛しますが、その立ち飲みで知り合い、登山やマラソンの話で意気投合し、神戸マラソンに出るならということで一緒に20km走ってくれることになったのです。
ちなみにDさんはフルも4時間半くらい?で完走しており、サブ4を目指していたので、Dさんにとっても良い練習だったみたいです。あとKさんもDさんの飲み友達でこの人も前日ストロング朝ストロングしてもハイペースで登山できるツワモノです。笑
一緒に20km走ってもらったのはこの一度だけです。結果から言うと私はなんとか2人についていき走り切ることはできましたが、ペースを落としてもらっていたにも関わらず私には速く、無理をして走ったため20km直前でほぼ過呼吸状態になっていました。
足はふらふら、呼吸はゼーゼー。本当に倒れるかと思いましたが、ゴール地点が目前だったのでとにかく必死で走りました。
この経験も2時間ランと同じように私の自信となっていきます。
以上が練習編です。続いては、食事編!!
2016年神戸マラソンまでの道のり
無事(?)神戸マラソンに当選した私たちは、練習を余儀なくされます。
そして、初めてのフルマラソンということで、かなり準備をしました。
なんせ未知の世界だったので色んなことを調べまくり、良いとされることは手当たり次第試していきました。
後でそれぞれ記事にまとめようと思っていますが、まず「練習」「食事」「身体の調整」「購入品」の4つの項目ごとに、どのように準備をしていったのかを箇条書きで書いていこうと思います。
① 練習1
・今まで5kmだった朝ランの距離を10kmに伸ばした。
(5kmでは足りないだろうという理由。)
・ランニングウォッチ(※1)でペース配分を意識するようにした。
(自分の基本のペース、しんどいラインを知る。)
・2時間ランニングする日を作った。
(距離よりも2時間走り切る経験を大事にした。)
・20km走る日を作った。
(最低でもフルの約半分の距離を走れるようになっておかなければと思った。)
②食事
・カーボローディング
・身体を作る栄養について調べまくった。食べあわせに気をつけた。
・直前のお酒は控えた。
・補給食やタブレットを色々試した。
③身体の調整
・筋トレ
・ストレッチ
・足の測定
・カイロプラクティック(テーピング)
④購入品
・ランニングウォッチTomtom
・ランニングシューズ アシックスゲルカヤノ
・ランニングタイツ アシックス
・ランニングポーチ シスメックス
・ランニングウェア シスメックス
・ランニングソックス
・サンバイザー northface
初めてのフルマラソンということでかなり気合を入れました。
私は性格上、何かに興味を持ち自分で「趣味」と呼ぶにはいい加減な状態では「趣味」と呼びたくはなく、ある程度の継続性がついてから人に初めて「趣味は〇〇です」と言いたいめんどくさい性分です。
そしてそれが頻度は少なくても長いスパンで続けられるか、集中的な練習が必要なものであれば飽きることなく、楽しみながら3ヶ月続けることが自分の中での目安です。個人的に、3ヶ月楽しめたら自ずとその後は継続していくと思っています。ポイントは楽しいということ。苦しくても、なんとか諦めずに続けることももちろん大切です。継続力に繋がると思います。また、「諦めずにやり抜いた」という経験値が積まれます。
ただ私は「好きこそ物の上手なれ」が自分には合っているなと思うので、どうやったら楽しんで継続できるかを考えます。
今まで、失敗もたくさんしてきました。続けたいのに続かない。頑張りたいのに頑張れない。しかし、私の場合は自分の周りの環境づくりが全てでした。言い訳になるかもしれませんが、環境的に頑張ることは難しい時期もありました。形から入るタイプなので、良いモノだけ揃えて終わってしまうことも多々ありました。
環境については、また別の記事で書きたいと思います。形から入ってしまうことはマラソンにおいては避けることができました。なぜなら、今後もずっと続けたいと思ったからです。だから、「良いモノを買うこと」を自分への目標達成時のご褒美にしました。
初めは運動不足解消のためだけに始めたランニングだったので、幸いランニングシューズもアウトレットの安い物でしたし、ウェアもこだわっていなかったんですよね。
走ることの楽しさに気付いてからは、「これが続くようなら良いシューズとタイツを買おう」という気持ちでした。そしてそのスパンと神戸マラソンのタイミングが重なったので、ランニンググッズを一通り新調しました。しかし、シューズについては今後かなり苦しめられることになります。
次の記事からは①〜④について詳しく記事を書いていきたいと思います。
朝ランというもの
加古川みなもロードや、神戸マラソンに向けてしていた朝のランニング(以下朝ラン)はいつも8時に集合し、30分ほど走って解散するというものです。
7年前から現在まで不定期で続いており、一緒に走るのは、最初から参加してくれていた後輩Iとです。
お互い環境や住む場所が変わっても、ランニングできる場所を探しながら走っており、本当にありがたい存在です。
まさに部活のようで、いつも
「おはよ」「おはようございまーす」
からのストレッチ
「いくか!」「はい!」
タッタッタッ…
みたいな感じです。笑
ゆっくり走っていたので距離にして5kmくらいだと思います。当時はペース配分や速さではなく、「走って運動すること」に意味がありました。ただ、最初は家に帰ると寝てしまうくらい疲れていました。
「走るのってこんなに体力がいったんだ…」
と改めて運動不足を実感しました。
中高の頃は部活でも毎日走って、トレーニングして、土日は練習試合をして、本当体力があったなと思います。しかし、練習を重ねるごとに息もすぐにはあがらなくなり、帰ってから寝てしまうこともなくなりました。むしろ、朝早くから活動することで身体が目覚め、昼からも気持ちよく遊びに行くことができるようになりました。
朝ランに集まるのは最終的に後輩Iだけになってしまったのですが、他によく飲みに行っていたこれまた同じ部活の先輩Aがおり、その先輩はすでにランニングをしていて、フルマラソン経験もあったため、せっかくなので後輩I・先輩A・私の3人で地元にゆかりのある神戸マラソンに応募することに!
この時も割と軽い気持ちで
「神戸マラソン倍率高いし当たらんのちゃう~?でも当たればやるしかないな笑」
という感じでした。
するとなんと、全員当選。笑
びっくりしましたが、3人で走れることが嬉しかったです。私たちは練習するしかないという気持ちに駆られ、本格的に練習することとなります。こうして私のマラソン人生の歯車が大きく回り始めたのでした。
加古川みなもロードを走っていなければ、神戸マラソンに当選していなければ、みんなで当選していなければ。きっと今の私はありません。この偶然は私にとっては必然だったのだと思います。そしてこの神戸マラソンは心に残るマラソン大会となりました。
六甲シティマラソン
加古川みなもロードを終え、心身ともにズタボロになった私は「ランニングマシンだけではだめだ」と思い、ここで地道を走ることを決意しました。
さらに、今までの経験上一人で継続することは難しいので毎週土曜日の朝、高校時代の先輩に声をかけ、みんなで走る大作戦を実行しました。
海沿いのコースを大体30分、15分走って軽くストレッチをして折り返すというものです。
初めは興味で集まってくれていたものの、段々と集まる人数も減っていき、とうとう後輩I一人になってしまいました。しかし、この後輩とは後々長いランニング付き合いをすることになります。
この時はもちろんそんなことを知る由もありませんでした。
そして同年11月には高校の部活の同級生、先輩の計7人で「六甲シティマラソン(10km)」に出場。この頃もまだまだ遊び感覚で、みんなでディズニーのコスプレをして走りました。ちなみに私はピーターパンです。
今思えばたったの10kmですが、雨が降っていたので衣装が濡れて寒いわ重いわでこれまたかなりしんどかった覚えがあります。
普段走っていないにも関わらずひょいひょい走れている人もいて、自分はやはり努力しなければいけない人間なのだと改めて思いました。
7人でコスプレをしていたので目立っていたからかカメラマンの方が写真を撮ってくれ、なんと翌年のパンフレットに使われていました!(許可などなくパンフレットを見て初めて知った。笑)
加古川みなもロードマラソン
よし!マラソン走るぞ!
(前回の記事きっかけはこぼれる吐息参照)
と決意した私でしたがとはいえ、変わらず練習はジムのトレーニングのみ。
つまり20km走るのに、5~6kmの距離をしかも速いペースで走ることしかしていなかった。ランニングシューズも近くのアウトレットで買った2,000円くらいのNikeの安い運動靴でした。そしてそのまま当日を迎えます。
みなもロードはひたすら河川敷沿いを走り、10km地点で折り返すというもの。この大会を選んだ理由も近さと「平坦な道走るだけ?ちょろいちょろい」というものでした。
あんなに過酷なものになるとは知らずに、、、。
当日は仲の良い後輩Yが応援に来てくれ、朝から車を飛ばし加古川へ向かいました。完走こそしましたが、とにかく過酷でした。
まず圧倒的準備不足。
「マラソン」というものを完全になめていた結果です。開催されたのは4月でしたが晴天も手伝ってかなりの暑さでした。
河川敷沿いということで日陰もほぼなくずっと炎天下。暑い。とにかく暑い。もはや熱い。というか、そもそもなめてかかっている私はペース配分なんて言葉も知らずに走りだします。、、、
2km地点。
「え?もうしんどい。なんで?あと18kmもあるのに…でも後輩が来てるし頑張らないと…。歩かない。絶対に…足を止めない…。」
「足を止めない」だけが全てではないんですけどね。この時は足を止めないことがゴールできることにつながると思っていました。
そして私のこのメンタルや状態は変わることなくゴールすることとなります。笑
景色は変わらず、炎天下の中ただひたすら河川敷を走ります。
暑すぎて給水のたびに頭から水をかぶっていました。あの時は給水の大切さもわかっていませんでした。
そんなこんなでなんとかゴール!
タイムは2’14。なんとか走り切ったものの、ヘロヘロ。暑い。しんどい。ぼーっとする。。。
気持ちだけでゴールした私でしたが、一番の感情は「悔しい」でした。
「どうしてこんなに走れないんだろう。ジムでトレーニングしてたのに。ちゃんとランニングしてたのに。もっとちゃんと走りたい。」
この時はまだ「達成感」よりも走れなかった「悔しさ」の方が大きかったです。それと同時に、マラソンの過酷さを思い知らされたのでした。
まぁここに関しては体育会系を否めませんが、私のマラソン人生が始まったのははっきりとここからです。
ただ、マラソンにリベンジしてやる!
というよりも、こんな程度で疲れる自分の身体を叩き直したい!って感じでした。
ちなみに後輩Yは2時間強かかったにも関わらず、河原でのほほんと過ごしていてくれたようです。
なんだかほっとしました。笑
きっかけはこぼれる吐息
私という人間の記事に続いて。
大学では普通の四大を卒業。特にこれといったスポーツはしていませんが、スポーツ自体は得意で体力の衰えを感じることもありませんでした。
大学卒業後は就職。自分は運動をしていた人間だからと高を括り、欲望に任せ飲みまくる日々。
筋トレやランニングをすることはありましたが、目的や目標が無くムラがありました。
ここから記憶を遡りること2015年。
相変わらず飲みまくる日々。
ただし、このあたりからぎりぎりの電車に乗るために走って滑り込んだところ、車内で息があがりゼーハーも汗も止まらない。足が重いことに危機感を覚える。
「もしかして自分って体力無くなってる・・・?」
そう思った私はすぐに体力強化のため職場の近くのジムに行き始めます。
もともと運動は好きなので、仕事終わりにストレッチ30分、筋トレ1時間強(途中から部位ごとにルーティン化)、ランニングマシン30分、ダウン30分、、といった感じで3時間コースを週に2~3回するようになります。
※隙間でだらだらすることあり、行ったもののやる気出ず、、
1時間以内で帰る日もありました。
ただし、とにかく「行動した」自分を褒めていました。
職場からジムに直行するようにしていたので、「ジムに行く」と決めた日は十分でなくてもジムに行き着替えただけでもえらい!
そういう日でも「ジムに行った」とカウントすることで、脳がトレーニングしていることを「継続している」と判断するそうです。
私が色んなことを経験して思うのは、経験や努力を積み重ねるために根性論だけではなく、脳の仕組みをよく知ることも大切だということです。
脳を勘違いさせることで、意外と人間の気持ちの持ちようが変わってくるものです。要は、知っているか知らないか、知ろうとするかしないかのコツです。
結局は自分の行動一つなんですよね。
ただ、お酒はずーっと好きなので、仕事が早く終わった日はジムからの一人立ち飲み。調子のいいときはまださらにひとカラをして帰っていました。笑
当時は、本当にこの時間が至福だったなぁ。
お酒についても語りたいことがありすぎるので立ち飲みについてはまた別の記事で。
ジムに行き始めてから1か月ほど経ち、「ジムに行く」ということが習慣化されだした頃、点滅信号に間に合わせるためにダッシュするぐらいでは息が切れなくなり、嬉しかったことを覚えています。
些細なことかもしれませんが、階段がしんどくない、とか、重い荷物を持つことが苦じゃないとか(むしろ筋トレ的で嬉しい)とか、そんな小さな変化が嬉しかったし、実感に繋がっていきました。
体力も筋肉もついてきたかな?というところで何か頑張る目標が欲しくなりました。その時はランニングマシンで30分割と速いペースで(といっても5’30/kmくらい?)走れていたので、「マラソンでも走ってみっか」という軽い気持ちで「第3回加古川みなもロード(20km)」にエントリーすることになります。
そしてこれが人生初のマラソンとなり、私の人生を大きく変えることとなります。
私という人間
どうも。
改めて酒飲みハッピーランナーと申します。
まずは私の情報から。
神戸住・31・女・159cm・50kg前後
市民ランナー フル自己ベスト4’23@2018高知竜馬マラソン
低血圧(下50の、上85とか)・疲れやすい
名前の通りお酒を飲むとハッピーになる体質。
好きなお酒は日本酒、ジントニック、ハイボール、ストロングゼロ、などなど、、
中高運動部・活発・身体を動かすこと、楽しいこと大好き・現在もランニング継続中。ただし、中高ともに私は瞬発力パワータイプ。長距離よりも短距離タイプ。
授業の持久走なんかも運動部なのにかっこ悪いところは見せられないので、嫌々、しかも必死で走っていました。
部活の外周も、とにかく必死だった記憶があります。学生の頃からお酒は大好きでしたが、23歳くらいの時に日本酒に目覚めます。以降覚醒。(お酒のことは好きすぎるので別で記事書こうと思います。笑)
あとは、結婚をし夫ができましたが、まぁなんとも気の合う人です。世界で一番気が合います。漫画好きなところ、運動に対する姿勢や、お酒が好きすぎるところなど。
休みの日には一緒にトレーニングしたり、飲みに行ったり(これはずっと)
趣味以外のところでも、サポートをしてくれて今では本当にかけがえのない存在です。
筋トレをする上でも、食事の面でも旦那とのエピソードが欠かせないので、そんなこともポツポツと書けたらな。と思っています。
ブログを始めたきっかけ
私は割とストイックです。
そして運動が好き、運動をしてきているという前提はありますが(多分運動が苦手・経験がない方は運動やトレーニングを楽しんでやるということがハードルなのかなと思うので)
練習をサボってしまったり、やる気がなかったり、うまく走れなかったり、、平凡な人間です。ただ、いつしか走ることが大好きになり、今では「走ること」が運動の中で一番楽しみがあるとすら思っています。
どうすれば怠惰な自分と付き合っていけるのか、また走る楽しさや、失敗してきているからこそ伝えられることもあると思ったので、自分の備忘録も兼ねてブログを始めようと思いました。
たまに練習していないのになんでこんなに走れんの?と思う人がいますが私はそうではありません。練習してもかなわないこともあるし、ましてや練習しなければ結果は出せません。
ただ好きなので頑張っているだけです。運動に関してはまさに「好きこそものの上手なれ」タイプです。
7年前から始めたランニングから現在に至るまでを思い出していきながら書いていくので、不鮮明なところもありますが、このブログでは、少しでもみなさんが有益な情報を得、走ることだけでなく、運動することを好きになってくれたら、と思っています。
あとはお酒が大好きです。
大事なことなので2回言いました。
よろしくお願いいたします。